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更新日 : 2024/05/10
能登半島地震 被災記録
ゴールデンウィークに実家のある能登に帰省してきました。
実家は志賀町、2024年1月1日の能登半島地震で震度7を観測したエリアです。
地震があった時はちょうど家族とともに帰省していて、被災して避難所で数日を過ごしました。
■震災発生当時
妹の家族も実家に集まっていて、みんなで楽しくおせちを食べているときに地震がありました。
目の前でテレビや家具が倒れ壁も崩れました。
津波警報が鳴り、考えている余裕もなく車3台でばらばらに避難所(消防署、小学校)へ。
道中は地割れがひどく、至るところが通れなくなっていました。
実家のある場所は海から数分、海抜ゼロメートルに近い平野なので・・・
もし津波が来ていたら逃げ遅れていた可能性は大です。
幸いなことに家は損壊したものの住める状態だったので、数日後に避難所から全員帰宅。
お茶の間はおせちが残ったまんまの状態で、なにか悪い夢でも見てるのかな?という感覚を覚えました。
壊れた家具や壁などを片付け、10日後くらいに埼玉へ戻りました。
崩れ落ちた近所の鳥居と角松
崩れた家の庭の灯篭
家の中
■ありがたかったこと
・1月2日、朝から開けてくれていたドラッグストアがありました。
店内はボロボロで、従業員のかたの家も被害をうけているはずなのに・・・。
1時間ほど並びましたが、生活に必要なものを得ることができとても助かりました。
荒れた店内
・実家にいる間、自衛隊が開設してくれた給水所へ日に2回ほど水をもらいに通っていました。
最寄りの給水所の隊員は、愛知や三重などから駆けつけてくれたとのこと。
雪も降る中、毎日ポリタンクに水をくんでいただき感謝です。
なお、家の水道から水が出たのは1か月後くらいでした。
自衛隊
・トラック野郎のみなさまがデコトラに物資を積んで駆けつけ、近所で配給や炊き出しをしてくれました。
群馬、仙台、姫路など各地から来てくれていました。
現地の混乱を招く迷惑行為だとニュースやネットで報道されたりもしましたが、現地民としては大変感激しました。
デコトラ
■学んだこと
・水が出ないと食器が洗えないことに地味に苦労します。
そこで使い捨ての食器(紙コップ、皿、割りばし)が重宝しました。
あとはビニール袋、ラップも食器にかぶせて使うと洗わなくて済むなど万能なので、ぜひ防災グッズに入れておくべきです。
・家具と天井の間のつっぱり棒のようなものは、震度7では全く意味がないと感じました。
高さのある家具はそもそも置かないか、壁に固定しましょう。
ただし壁の石膏部分に固定する程度では、壁ごと崩れ落ちるでしょう。
・避難中もスマホは欠かせないものでした。
安物でもよいと思うので、ソーラー充電パネルがあれば安心です。
以上、すこし落ち着いてきたので遅ればせながら書いてみました。
ウルヴァニアックのみなさんや関係者、お友達のみなさま、当時は大変ご心配をおかけしました。
志賀町にもまだ多くの避難民がいて、さらに北のほうでは復興のめどが立っていない場所も多くあります。
金沢市などへ観光することなどでも復興の援けになると思います、応援よろしくお願いします。